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松江地方裁判所益田支部 昭和26年(ワ)11号 判決

原告 村上キク

被告 大橋千鶴 外一名

一、主  文

被告大橋千鶴は原告に対し金二千円並びにこれに対する昭和二十六年五月七日以降完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告の同被告に対するその余の請求並びに被告岡節に対する請求は何れもこれを棄却する。

訴訟費用は原告と被告岡節との間においては原告の負担とし、原告と被告大橋千鶴との間においてはこれを二分し、その一を原告の負担としその余を被告大橋千鶴の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、被告等は原告に対し連帶して金七万円並びにこれに対する本件訴状の被告等に送達せられた日の翌日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払い、且つ松江市において発行する島根新聞紙及び門司市において発行する毎日新聞紙に別紙<省略>記載のような謝罪広告を掲載せよ、訴訟費用は被告等の連帶負担とするとの判決を求め、その請求原因として、被告等は昭和二十六年三月二十九日調髪のため島根県美濃郡益田町大字上吉田加藤美容院に赴いたものであるが、これより先同所呉服商松屋支店において買物をした際被告大橋千鶴は、当時同被告が所持していた背広三ツ揃一着を同支店に置き忘れたに拘らずこれに思い至らず、偶々同美容院において該洋服の見当らないのに気付くや被告等は軽々しくも同美容院にて窃取せられたものと盲信し、その直前調髪を終えて同美容院を立ち去つた原告がこれを窃取したとの疑をかけ、同美容院主又はその従業員である訴外加藤初子、野上久子、山本園子等に対し先程の老婦人(当時未だ原告の氏名判明せず)が立ち去る前迄は右洋服は其処にあつた事並びにそれ以外に同美容院を立ち去つた者は全然これなき事を話し、以て同訴外人等をして右老婦人がこれを窃取したものと信ぜしむるような言動をなし、更に同日益田町警察署に出頭して被告大橋千鶴名義にて右洋服の盗難届をなした上同署司法警察職員に対し、六十才位の老婦人が立ち去る前迄は確に右洋服は加藤美容院にあつた事、同婦人以外には同美容院を立ち去つた者は全然これなき事、同婦人が立ち去る際は「シヨール」を拡げて手にかけ怪しげな風体をしていた事並びにその着衣、履物、所持品、特長等詳細に述べたため同司法警察職員をして右老婦人を該洋服の窃盗容疑者として捜査を開始せしめるに至つた。よつて被告等主張の右老婦人が原告であることを探知した同司法警察職員は、原告に対し同日午後七時頃同警察署に出頭を求めた上二時間余に亘り取調をなし、更に原告の住所に到りその所有の柳行李の内容品迄も点検するに至つたが、右の外原告は頸実験の為加藤美容院に連行せられ、同署においては居合せた訴外平谷亀一、福元トキヱにより取調の模様を目撃せられ、右柳行李点検の際は原告の夫によりこれを目撃せられた。更に原告は古物商を営み島根県中南部、山口県中北部の同業者と取引をなし相当名を知られているところ、原告が窃盗容疑者として取調を受けた事実は前記のように既に数名の者の知るところとなつたから該事実は一犬嘘に吠えて万犬実を伝うの例えのように広く誇張伝播せられることは必定である。よつて原告は痛くその名誉を毀損せられ、精神上多大の苦痛を蒙つたものであるが、右は被告等の過失により惹起せられたものであるから、被告等は原告に対して連帶して相当額の慰藉料を支払うべき義務があるところ、原告は夫と共に古物商をなし資産四万円年收合計金十二万円あり、被告大橋千鶴は二十七才旧制女学校卒にして訴外大橋理に嫁しており、同訴外人は三隅川漁業協同組合の職員で月收五千円余あり中等程度の生活を営み、被告岡節は被告大橋千鶴の姉で三十五才旧制女学校卒にして訴外岡文栄に嫁しており、同訴外人は開業医で同じく中等程度の生活を営んでいるので、右慰藉料額は金七万円を相当とすべきである。更に被告等は原告の名誉を回復する為島根県中南部及び山口県中北部において多数配布せられている島根新聞及び毎日新聞に、別紙記載のような謝罪広告をなすを相当と認められるので、被告等に対し連帶して金七万円並びにこれに対する訴状の被告等に送達せられた日の翌日より完済に至る迄民事法定利率年五分の割合による損害金の支払並びに前記新聞紙上の謝罪広告を求める為本訴請求に及んだ旨陳述した。<立証省略>

被告等訴訟代理人は原告の請求はこれを棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として被告等が原告主張の日時その主張の加藤美容院に赴いた事実、被告大橋千鶴がこれより先原告主張の呉服商松屋支店において買物をした際所持していた背広三ツ揃一着を置き忘れたに拘らずこれに気付かず、同美容院において該洋服が見当らないのに気付いた事実、原告が益田町警察署において右洋服窃盗の容疑者として取調を受けた事実、並びに被告等及びその夫等の身分、資産、收入関係が原告主張の通りである事実は何れもこれを認むるも、被告等が原告に対し右洋服窃盗の疑をかけ、右加藤美容院主である訴外加藤初子等に対し原告主張のような言辞を弄し、又は益田町警察署に対し被告大橋千鶴名義にて右洋服の盗難届を提出した上同署司法警察職員に対しその主張のような事を詳述し、よつて同司法警察職員をして原告を窃盗の容疑者として捜査を開始せしめた事実、原告が被告等の過失によりその主張のような名誉を毀損せられて精神上多大の苦痛を蒙つたの事実は何れもこれを否認する。その余の原告主張事実は全部不知である。即ち被告大橋千鶴は右加藤美容院より帰らんとした際前記洋服の見当らないのに気付いたのでその旨訴外加藤初子に告げたのみであり、又同訴外人の勧めにより益田町警察署に右洋服の紛失届をなした上係官の質問に対し当時の状況を述べたに過ぎず、被告岡節は単に被告大橋千鶴に同行したのみである。従つて被告大橋千鶴のなした行為は単に保護を求めたにすぎなく、益田町司法警察職員のその後における捜査は係官が独自の判断に基き職務上当然なした行為であり、総て同被告の関知しないところである。

而して前記のように被告大橋千鶴の訴外加藤初子に対する告知又は益田町警察署に対する届出は、同被告が右洋服を他に置き忘れたのを気付かなかつたことに起因するが、凡そ忘却は人間自然の心理的現象の一つで不可抗力のものであり、従つて同被告の右忘却は不法行為の主観的要件である過失には当らないから同被告には損害賠償の責任はない。仮に被告等に損害賠償の責任ありとするもその額はこれを争う。尚新聞広告による謝罪広告の如きはその必要の程度を超えたものというべきである。よつて原告の本訴請求は失当であるからこれに応ずることはできない旨陳述した。<立証省略>

三、理  由

被告等が原告主張の日時その主張の加藤美容院に赴いた事実、被告大橋千鶴がこれより先原告主張の呉服商松屋支店において買物をした際所持していた背広三ツ揃一着を置き忘れたに拘らず、これに気付かず同美容院において初めて右洋服が見当らないのに気付いた事実は当事者間争いないところである。

而して成立に争いない甲第一号証並びに証人加藤初子、山本園子、丸子武、福井義定の各証言及び原告、被告両名の各本人訊問の結果を綜合考覈すれば、前認定のように被告大橋千鶴が右美容院において該洋服が見当らないのに気付くや、軽々しくも同美容院にて窃取せられたものと盲信し、その直前調髪を終へて同所を立ち去つた原告(但し当時迄は原告の氏名は判明せず)がこれを窃取したとの疑をかけ、右美容院主である訴外加藤初子、同院の従業員である訴外山本園子に対し原告主張のような言辞を弄した事実、並びに同日益田町警察署に出頭して同署司法警察職員に対し、右洋服の盗難届をなしその際同美容院より従行した前記訴外山本園子と共に交々原告主張のようなことを詳述した事実、これが為同司法警察職員をして同被告主張の老婦人を右洋服の窃盗容疑者として捜査を開始せしめ、右老婦人が原告であることを探知した同司法警察職員により原告はその主張のような取調べを受くるに至つた事実、並びに被告岡節は同美容院においても右洋服のことに関し何等の言動をもなし居らず、又益田町警察署においても単に被告大橋千鶴に同行したのみである事実を認めるに十分であり、更に証人山本園子、村上庄治郎の各証言及び原告本人訊問の結果を綜合すれば、同司法警察職員が同日原告を同警察署に出頭せしめる途次右美容院に立ち寄り、被告大橋千鶴主張の老婦人が原告であるか否かを訴外山本園子につき確めた事実、及び同司法警察職員が前段認定のように原告住所に臨み原告所有の柳行李の内容品の点検をなした際原告の夫である訴外村上庄治郎が同所に居合せた事実もこれを認めるに難くないが、原告が同警察署において取調を受けた際その状況を訴外平谷亀一又は同福元トキヱにより目撃せられた事実はこれを認むるに足る何等の証拠もない。

然り而して被告大橋千鶴の前記のような美容院における言動並びに警察署に対する届出は、明に同被告の過失でありこれにより原告は前認定のような窃盗容疑者としての取調さえ受くるに至つたものにして、その名誉を毀損せられたと認むべきこと勿論であるから、同被告は原告に対し相当額の慰藉料を支払う義務あるや明である。被告大橋千鶴は凡そ忘却は人間の自然の心理的現象の一つで不可抗力のものであり過失ではなく、従つて同被告の本件忘却は不法行為の主観的要件である過失に該当しないから損害賠償責任はこれなき旨抗争するにつき、按ずるに凡そ人が物を他に置き忘れてこれに気付かないと云うことは世上往々見受けることではあるが、これは不可抗力と云うべきではなく、それは普通人としての注意義務を怠るが為に起る現象と認むべきである。成立に争ない乙第一号証の「忘れ物に御注意のこと」とある文言も普通人の注意を怠らないよう警告したものと認むべく、「忘れ物」が不可抗力によるものであるならば斯のような文言を発するの余地は全然ないと云うべきである。然しながら各人は自己の所有物についてはこれを抛棄、破壊等任意に処分し得るものであり、且つ又自己のものについてはこれを遺失しないように注意しなければならないとの法律上の義務を課せられたものではないから、物を置き忘れて気付かないと云うこと自体を目して法律上遺失者に過失があると云うことは出来ないこと勿論であるが、更に一歩を進めて遺失者が遺失したことに気付かずこれを第三者に窃取せられたと速断主張するにおいては問題は自ら別である。これを本件について見るに被告大橋千鶴は右美容院において洋服の見当らないのに気付いたならば、先ず当日の立ち寄り先等その行動を委細に検討すると共に同行の被告岡節についてもこれを詳細に訊し、立ち寄り先あらばこれにつき確める等普通人の当然なすべき注意をつくさねばならないにも拘らず、これを怠り軽々しく同美容院において窃取せられたものと速断し、住所氏名は明示せずと雖も容易に判定し得る程度に諸般の状況を明示して当日同美容院に居合せた第三者に窃取せられたと主張し、且つその旨警察署に届け出でたものにして同被告の右注意義務を怠つた点に過失ありと認むべく、該過失により窃盗容疑者となされた第三者の名誉を毀損したものと云うべきであるから同被告の叙上主張は採用することは出来ない。

よつてその数額につき審按するに、成立に争なき甲第二号証の一並びに証人村上庄治郎及び原告本人訊問の結果を綜合して認め得べき原告が五十六才小卒にして夫と共に古物商をなし居り、従つて当地方において同業者又はその他に相当名を知られている事実、並びに原告は夫と共に商業資金四万円、債権三万円を有しているが昭和二十五年度においては所得金は皆無であるが原告の夫は所得金六万二千円ある事実、(右認定に反する原告本人訊問の結果は措信せず)当事者間争いない被告大橋千鶴は旧制女学校を卒業し訴外大橋理に嫁し、同訴外人は三隅川漁業協同組合の職員にして月收五千円余あり中等程度の生活を営んでいる事実、証人大橋理の証言及び被告大橋千鶴本人訊問の結果に徴し認め得べき同被告及び夫である訴外大橋理は無資産である事実に前段認定の同被告の過失及び原告の受けた名誉毀損の程度、並びに証人福井義定の証言に徴し認め得べき本件洋服は届出後数日を出ずして同被告が他に置き忘れたものであること判明し原告の疑は完全に霽れた事実を綜合すれば右慰藉料額は金二千円を以て相当とすべきである。

更に原告の別紙記載のような謝罪広告請求の点につき審按するに、前段認定のように原告が窃盗容疑者として取調べられたのは僅か二、三時間程度にして、しかも原告の容疑は既に完全に霽れている事実及び前認定のように原告が窃盗の疑を受けた事実を知つている者は取調に当つた係官を除けば数人に過ぎない事実を斟酌すれば、今更日刊新聞による謝罪広告を求むるが如きはその程度を逸脱した無用のものというべきであるから、この点に関する原告の請求は排斥を免れない。

果して然らば被告大橋千鶴は原告に対し右金二千円並びにこれに対する本件訴状の同被告に送達せられた日の翌日であること記録に徴し明である昭和二十六年五月七日以降完済に至るまで民事法定利率年五分の割合による損害金の支払義務あるや明であるから、原告の同被告に対する本訴請求は右の限度において正当であるが、爾余の部分並びに被告岡節に対する本訴請求は何れも失当であるから棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し主文のように判決する。

(裁判官 坂本義雄)

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